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2006年 01月 01日
前に何かで平和について議論した際、僕は選択肢がより多くある方が平和だ、と言った。
今でも思っている。 選択肢が多すぎて 将来を決められなく、なんとなくだらだらしていても生きて行ける世の中だから二ートも増えているけど(まぁ、ことはそんな単純な事じゃないけど)、選択肢もなく虐殺されてしまうような時代・世界に生まれてくる事よりかは、平和な世の中だと思う。 現代ッ子ならではの「自由=正しい」的な意見だけど、極端に言うとやはり僕はそう思ってしまう。 そしてその「自由」ってのは、なんだ? その自由ってのが一番存在していなければいけないはずのアメリカでの、 ある事件についての映画。 MONSTER http://www.coda21.net/eiga3mai/text_review/MONSTER.htm 「 1986年。 娼婦としての生活に疲れきっていたアイリーンは、ある夜立ち寄ったバーで、同性愛者の少女セルビーと出会う。 アイリーンは純粋に自分を慕ってくれるセルビーに希望を見出し、2人で新しい生活を始めるため最後の客を取る。 しかし、烈しい暴力を受けたアイリーンは男を射殺。 そしてセルビーをつれて逃げた。 「彼女のためなら何でもする」その決意が次第にアイリーンを追い詰めていく・・・ 」 全く知らなかった映画なんですが、見てみたら衝撃。。。 マシニストを見た後、あまりに納得の行かないつまらない内容だったために、次の日七時に起きなければいけないというのに、無理して次の映画を見た。 深夜一時過ぎ。 前評判無しで見ましたが、ほんとすごいです、この映画。 死刑囚に対して、それをただ単純に「悪」と決めつけてないんですね。 自由があるはずのアメリカで犯した犯罪ですが、主人公のアイリーンは最後自分の犯罪を正当化するために「私には生きるためにはこの方法しかないんだ」と言う。 そして、死刑前には様々な人の格言に対して「くそったれ」と言う。 強すぎる愛ゆえの犯罪。 愛、自由、罪の意識、、、とアメリカ的、キリスト教的テーマが所狭しと盛り込まれている映画ですね。 そしてそれは実際にあった話だというのだからびっくりです。 さらに後で調べたら、この主人公を演じてるいるシャーリーズ・セロンの豹変ぶりにびっくりです。 before after なんだかいい写真が見つからずafterも結構美人なんですが、映画見るとほんと演技も体格も顔もまさに男みたいで、全くその前の雰囲気は無いです。 体重13kg増やすってすごいですね。 もちろん特殊メイクしてるみたいだけど、調べてみると実際のアイリーンにそっくり。 http://profiler.hp.infoseek.co.jp/aileen.htm 内容、演技、テーマ、全部素晴らしい。 考えさせられる事の多い映画です。 アメリカ的、個人主義的「愛」ってのはとかく犯罪になりやすい。 そもそも「愛」ってのが西洋社会から日本に入って来たのは明治以降だし、日本なんてつい最近まで(今もそうだけど)結婚はお見合いが主流だった。 そして、結構するまで顔も見た事ないなんてのは普通だったんですね。 だから日本人は恋愛ってのに対する免疫はすごく低く、たぶんみんなへたくそなんだと思う。 いっそのこと人に決めてもらった方がいいですね、たぶん。 そして、逆に行き過ぎるとアイリーンのような超個人主義的、愛の犯罪者が生まれる。 アイリーンはどうも「法さえも自分は凌ぐ」という個人主義的、誇大妄想の持ち主だった。 そこには「公」が存在しない。 映画でもさんざんそういう場面は出てくる。 唯一の「公」である仕事が売春だ。 自由を奪われ、選択肢を無くし、「公」は消え、「個」だけが残った人。 それは殺人鬼になってしまう。 この犯罪の問題点というのは単にアメリカだけの事ではなく、日本にも関係する。 自分の子供には「個」を大切にさせたいと言って、どこへ行っても暴れ回る自分の子供を叱らない親。 電車の中ではヘッドホンからもれてくる音。 ありがとうを言えない人々。 すべてここには「公」がない。 非対称な社会である。 元来、「公」の国であったはずの日本が、敗戦後の教育で「個」が流入してきた。 そこにとまどい、揺れ動く。 単純に「公」を捨て個人主義万歳などと叫ぶ人たちを僕は全く信頼出来ない。 逆に「個」を弾けだそうとしてもそれはもう後の祭り。 不可能だろう。 日本人的な「個」と「公」のバランスが必要なんだと思う。 小林よしのりはこの辺の問題に対して、サカキバラを引き合いに出していた。 くしくも僕と同い歳のこの少年は、「公」から流れ出し、自分の存在を見つける場所がなかった。 日本に生まれたmonsterが彼であろう。 この事ってほんと幅広い分野で考えて行かないといけない問題だと思うんだけど、見た処、僕にはどんどん悪い方向に向かって行っているようで恐い。 「個」を育てようなどとあまり安易に考えて欲しくない。 同時に「公」も育てて欲しいと僕は思う。
by wato8282
| 2006-01-01 20:46
| 映画
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