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2006年 01月 05日
昨日の夜中、NHKで秋葉原特集的な番組がやってた。
秋葉原へ好感を持ってる僕は非常に楽しめた。 作りがうまかったのかな? アイドルオタクの二十歳の青年、オーバークロッカー世界記録保持者(PCの精度を競う)、電気機器オタクの12歳の子供、などなど。 それに秋葉原の都市計画を行っている人たちが、秋葉原に住む人たち(上記の人たち)を眺望するような形で番組が進む。 見ていて僕が思い出したのは、高校の頃バイトをしていた原宿について。 全く秋葉原と違う空間に見えて、実は語っている事が似ている。 あそこも昔は、小さいコミュ二ティーで楽しんでいる人たちの聖地だったわけだ。 ”裏”原宿という言葉の中にそれは読み取れる。 番組の中で思いっきり語っていたが 「子供もおばさんも、若いOLも楽しめる空間」 というのが昨今もてはやされる。 秋葉原に対して、そういう街を生成をしようとする動きもあったようだ。 しかし、それではこの街の独自性がなくなり、逆に人が減って行くと断念したそうだ。 ここで感じたのは僕が過ごした高校三年間で激変した原宿の街。 都市計画のコンセプトはまさに上にあげたもの。 明治通り、表参道の交差点に位置する場所に働いてた僕は敏感にそれを感じた。 まずあそこにGAPが出来、明治通り沿いにリーバイスが出来た。 それだけで、すでに僕のバイト先に来るお客さんの層が変わって行った。 若者、、しかも小さなカルチャーで生きている、なんだか秋葉原の人たちと重なるようなマニアな感じの人たち。それが段々と減少していった。 その後表参道もいつの間にか銀座のようになっていき、同潤会も壊された。 前後するように、そこに生きていた小さなコミュ二ティー特有の法が壊れてしまったのか、クリスマス時のゴミ問題が浮上し表参道のクリスマスツリーは無くなった。 ちなみに僕はその無くなる前年のゴミ拾いに参加したけど、ひどい、むごい。 「公」は無かった。 グローバル化というものの縮図がここに現れている。 誰にでも参加出来る空間。小さなコミュ二ティーは崩壊し、大きさも判断出来ない程大きく奇妙な「団体」に参加する。 すべてを否定するわけでもないが、グローバル化礼讃の影にはこういう目に見えない黒い部分も存在する。 さらに絶対存在するのが 侵入する側(秋葉原/原宿ではおばさん、若いOL)と侵入される側(裏原宿、秋葉原のオタク)の確執。 よく若い女の子が秋葉原を気持ち悪いと言っているのを耳にする。 逆もしかり。 少し話を大きくすると土地を守るパレスチナの民、そこに侵入していったイスラエルの民(ユダヤ)の確執と似ている部分がある。 僕も実際、秋葉原の人たちのようなオタクは嫌いではないが、渋谷などにいるギャル男は嫌いだ。有無も言わさず。 実はこういう基本部分にさえ、差別意識は存在する。 これまたグローバル化の悪癖の一つでもある。 どこにでも存在する差別意識だけど、それがグローバル化によって巨大化する。 無意識に侵入し、侵入されていく。 それを極度に拒否したり、極度に受け入れたりもする。 前者はパレスチナ、後者は戦後日本だ。 こういう無意識な部分にプロパガンダが侵入してきたらどうなるのだろうか? さらに言えばいつでも僕らは無意識に何かを抱えているという事でもあると思う。 知らぬ間にチャンネルが変わって、突然の韓流ブーム、個人投資ブーム。 普段テレビを付けない僕は突然世界が変わっていてあせります。 これからそのメディアを扱う場所に就職しようと考えている僕はもっとこういう事を考えて行かないといかんなぁ、などと深夜二時、、ミカンかじりながら考えました。 最後に、、、 番組終了間際の少し感動させよう場面でalbum leafの曲がかかっていたのが、背景を知っているだけに妙にミスマッチで笑えました。
by wato8282
| 2006-01-05 17:05
| パンセ
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