watoの色々
カテゴリ
以前の記事
2009年 08月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 04月 2006年 03月 2006年 02月 2006年 01月 2005年 12月 2005年 11月 2005年 10月 最新のコメント
フォロー中のブログ
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
2006年 01月 31日
なんだか疲れたからと言って新書系を多く最近読んでたけど、飽きてしまったのか、たまたま出会ったものが良くなかったのか分からないが、穴がありすぎるように感じるようになってきた。
そんな中から三冊程。 「野生の〜」って言うからレウ゛ィ=ストロースをよく研究した学者かと思って読んだ。 で、結局「レウ゛ィ=ストロースの野生の思考をもっと進ませたものが僕の野生の哲学だ」などと、うそぶく。 でも中に書いてあるのは、西洋追従をやめよ、野性的になれ、と書きながら、自身が西洋的な宗教感覚から抜けきれていない、なんともおそまつなものであった。 橋爪大三郎の著書「初めての構造主義」がとても面白かったので、読んでみた。 ただ、なんとも分かりやすいようで分かりづらい本だった。 結局って「心」って何?って疑問は晴れず(そんな疑問をそもそも持っていなかったのもいけないかもしれない)。 むしろ少し僕を哲学嫌いにしてしまった。 何もかもに対して疑い深い人が哲学者になるのか?と。 抽象的に、分からないまま、清濁合わせ呑んでしまえばいいではないか、と。 あまりに流行っていたから読んでみた。 とにかく読みやすい。 しかも類例が幅広く、その知識の幅広さは目を見張る。 ただ、自身の専門の脳以外の類例には穴が多く、どうも「なぜここでこの例えを出せるのだろう」と思ってしまった。 この三冊を読んでみて思った事。 まずこの三冊が発売されたのは、今から約三・四年前の事。 この頃ってのはまだ、不況から脱しきれず、日本人が全体的に自信を無くしていた頃なのだろう。 だから怪し気な人間開発本などがたくさんでた。 それは脳内革命が発売された頃からずっと続いていた。 バブル崩壊と、西洋的自由に翻弄され、足場を見い出せない市井の民。 日本におけるカルト宗教の横行と流れは一緒だ。 みな、自分の道を探していた。 今までは藩が、国が、会社がそれを用意してくれていたからだ。 そういう不安に入り込むようにメッセージ性の強い、今の世をうまく生きている人たちの、ポジティブな話が埋め込まれている本が売れていた。 まぁ、まずこれはすごく健康的な事だと思う。 実際のこの三冊について画像調べしながらレビューを読んでいたら、これに勇気をもらったって言う人もいたようだし。 つまり、こういう本にあるのは全部「今の世の中をどううまく生きるか」「人生とはなんたるか」っていう事なのです。 でも、もうすでにこういう本が売れている時代は少し過ぎ去ったと思う。 野生の哲学では、その不況下に対する現代批判がたくさん書いてあったが、もうすでに不況じゃないんだから(大雑把に言うとね)、それは根底からこの本の存在意義が無くなっているのと同じだろう。 でも、またこういう事も思った。 「哲学」っていうのはそもそも上に書いたような「人生とは?」「人間とは?」的なものが根幹にあるものであるわけで、こういった本もやはり優しい哲学書と言ってもいいのかなぁ、と。 ただ、どの偉大な哲学者だろうと、時代が過ぎればその思想の穴は見つけられるわけであって、、、。 今の時代に肩書き「哲学者」っていう人はいない。 精神学者であったり、思想家であったり、言語学者であったりする。 学問も細分化しているのだ。 世界が広がり過ぎて、考えるべき人の人数が多すぎて、もはや「哲学」っていう一くくりでは覆う事が出来ない。 しかも、野生の哲学のようについ何年前の話でも、今では何の根拠も無い話に成り下がってしまったりする。 時代も早い。 複雑系の話でも出て来たけど、今の時代ってのは今までで全く経験した事ない時代が来ている。グローバル化、IT化、思考の分裂、大国の恐怖。。 でもね、そういう風に今を煽るけど、未来を生きている人なんていないわけで、いつの時代も初めの時代だったわけで。 江戸時代に生まれていた人たちだって、今まで全く経験した事ない世界を生きていたわけだ。 だから意味も無く不安にかられる事もないし、意味も無く虚無に捕われ思考を捨てる必要も無いんだと思う。
by wato8282
| 2006-01-31 19:07
| 本
|
ファン申請 |
||