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2006年 02月 23日
ついこないだ、ある人の対談を読んでいて思った事。
「現代はわくわくどきどきしながら知識を得て行く時間が少なく、情報がすぐに手に入ってしまう」 と書かれていた。 コラム自体は、すごくいいもので僕の心を打ったものだった。 そこで、この言葉を自分なりに真摯に考えてみた。 言い古されてしまった言葉でも、言う人によって聴こえ方は違ってくる。 数日たってふと思い立った。 「現代は、知を繋ぎあわせて行く事に重点が置かれる時代なのではないか」と。 実はこれも元々自分の中にあったものだったけど、なぜかその時はコロンブスの卵のように、すとんと心の中に落ちてきた。 情報化社会において、本当に新しいものを創造して行くのは難しい。それはすでにどこかで作られている事の方が多いからだ。その地域において、すばらしくアバンギャルドなものであっても、実は世界の裏ッ側では使い古されたものであったりする。 フロイトの無意識の発見も、西欧社会においては、素晴らしい発見であったけど、東洋社会においては、無意識といういうのものは、常日頃から付き合いのあるものであって、なんら新しいものではない。もちろんフロイトの業績については尊敬に値するものは多分にあるが。 この繋ぎあわせて行く、という事に関してよくテーマとして扱われるのが、HIP HOPにおけるサンプリングという技法だ。 グローバル化が進んで行くのと同時進行し、この偉大なる音楽手法は生まれた。 サンプリングについてここで長々書くつもりはないが、つまりは既存の音楽を編集し直して作り直すというもの。 もちろん生バンドのHIP HOPグループもいるが、ここでは対象としない。 もう少し大きくとらえると、現代音楽での最大の作品、ジョンケージの「4分33秒」は環境を編集している、と捉える事も出来る。 この作品についてはあまりにも研究しつくされ、賛否さえも越えてしまっている位置にいるので、これについても特には書かない。 とにかくジョンケージがライブ時にピアノの前で4分33秒座っている、という作品だ(観衆のタメ息さえも音楽になる!)。 西欧の生み出した、キリスト教、資本主義、グローバル化、というものは、世界を埋め尽くすまで止まる事が無い。 そういう中で現代は育まれている。 二次大戦後、欧米社会は(特にアメリカは)世界に対して、一応の勝利のようなものを勝ち得て、イデオロギーによる世界侵略をしている。 そんな中、グローバル化とデジタル機器・IT機器の発達によって、先の音楽状況によるような、「知の編集」とでも呼ぶようなものが今出来上がっている。(松岡正剛「知の編集術」が有名な本なんかな?) 僕は先に書いた思いつきの際にまっさきに思い浮かべたのが、後藤繁雄氏の「僕たちは編集しながら生きている」という以前に読んだ本について。 編集、デザインというのは、つまりは、既存のものを作り直して行くというものだ。既存というと語弊があるが、「環境」をここに入れると分かりやすい。 人は誰しも誰かの真似をして生きて来ているわけだ。 先人のいない世の中なんてない。 この本は編集のプロ後藤氏がその術を、人生、生き方にまで広げていっている書物。自分の開くスクールの中で話されている事を本にしている。 デザイナーという者の意見が面白いのはこういう実情があるのだろう。今の時代に非常にしっくり来ている。しかも、デザイナーは世の動きに敏感だ。 こういう「繋ぎ合わせ」「編集」についてはいくらでも類例が出てくる。BLOGのトラックバック、DJ、mixi、複雑系、、、「環境」を入れてみるとここに入らない現象はない。 一番初めに書いた、「わくわくして知識を得る」という行為さえ、親の影響、目に入って来た景色だとか人生におけるその人の行動一つ一つが影響になっている。 さて、ここまで長々と書き進めてきて僕は逆進する。 こういった視点さえもマクロから見たら、ミクロな視点にすぎない、という事だ。 すべてが環境の影響であるならば、じゃあ人生は努力する価値もないものなのか? となってきてしまうのだ。 これはヒンドゥーの人たちの思想の中を勉強していると生まれやすい。なぜならヒンドゥー社会はすべて必然であるから。 「偶然のように見える現象もすべて、あなたの前世が関わっている。」となるわけだ。 バリ島はヒンドゥーの島だが、そもそも努力だとかって言葉すらないんじゃないか、って思ってしまうような島だった。 でも、ここの人たちは平和に楽しく世の中を生きているんだよね。それでいい。 僕がここまで書き進めて来た思考も何も特に関係ないし、考えもしないように感じる。 環境が影響しているというのならば、僕がこういう考えに至っているのも社会の流れや家族の影響もあるのだろう。 特にクラブ好きの僕はDJというスタイルの影響もあるように感じる。 DJは音楽と音楽を繋ぎあわせるプロだ。 マクロにミクロに、思考を泳いでいると思わぬ処に飛び出してくる。 それがまた面白い。 そして、またこの僕の思想はBLOGという現代社会そのものを表しているようなものを通して、今読んでくれた人の頭の中を泳ぐ事になる。 それがまた、無意識まで沈下したら、後はどこへ行くのか全く分からない。
by wato8282
| 2006-02-23 18:05
| パンセ
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