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2006年 04月 09日
昔書いた論文載せてみます。
世界の「龍」「ドラゴン」「ナーガ」について。 ★ ★ ★ 世界の神話、民話、説話、というものは共通性というものを多くはらんでいる。シャルル・ぺローとディズニーによって今あるイメージを焼きつけられた『シンデレラ』は民話で世界各地に類話が残っている。シンデレラの語源、シンダー(cinder)が「石炭の燃え殻」つまり「灰」を意味し、アジア各国ではシンデレラは『灰かぶり娘』として広く伝わってきた。 その伝達の中でシンデレラの話は、本人証明の証として中国の纏足、日本の歌詠み、さらにはシンデレラのドイツ語読み「アッセン・パッテル」、イタリア語「チェネレン・トッラ」などは何となく侮蔑的な意味が含まれ(纏足もそうだが)女性の性的玩具の歴史もメタファーとして含まれていく。 このように国際比較というものを考える時、共通性、伝播の状況、歴史、など様々な事象を鑑みなければならない。 インドの神話もそれ一つで独立しているわけでは無い。様々な文化の発祥の地であるインドは、例えばバリ島の伝統舞踊ケチャが実はインドの叙事詩『ラーマヤナ』を唄い、舞っているように影響を与えた事実というものが多い。しかし例えば北インドの楽器シタールが、ペルシャで創られたセタールを元にされたような事実もある。 文化というものは複雑に絡まり合い、影響しあって出来上がったものだ。それは神話の世界が出来上がった歴史にもあてはまるだろう。 私は世界の民話、神話に数多く出て来る竜、ドラゴン、ナーガとうものの存在の意味する所に前々から興味があった。明らかに西洋におけるそれと、東洋におけるそれとでは扱われ方が違う。 しかし、似たような存在は世界各地存在するし、親しまれてきた存在であろう。なぜこのように同じような存在でも、インドを代表とする東洋神話と、ギリシャ神話を代表とする西洋の神話の中で扱われ方が違うのか、比較して行きたい。 世界各地至るところで「龍」に関する神話や伝説、物語などが数多く存在する。ドラゴン、ナーガ、龍、三者それぞれが起源を持ち、各地で似たような形態を有する動物が想像された。ナーガおよびエジプトの蛇信仰はコブラが神格化した姿であり、ドラゴン、龍の起源が蛇やワニを始めとする爬虫類のものであれ、河や雷の自然現象であれ、すべてに共通することは、崇拝されるに至った理由はそのものに対する恐怖と畏怖が背景に存在していることである。また強大な力を持つ動物であることも共通点であると言える。そのため、龍を退治することで西洋の神々・英雄は自らの力を示すことに利用し、中国においては皇帝を守護する者として、その存在を認められた。退治される対象であっても嵐や稲妻とともに洪水をひきおこす原因として、神獣であっても雨をもたらすものとして、水をシンボルする動物であり、水・雨と関連して考えられている。人類文明の繁栄において河は重要な役割を担い、文明の栄えた地には必要不可欠なものとして大河が流れている。四大文明と定義されるメソポタミア文明にはティグリス、ユーフラテス河が、エジプト文明にはナイル川が、インダス文明、黄河文明にもそれぞれ、その文明の名を持つ大河が横たわる。 では、なぜドラゴンは邪悪と悪魔視され、ナーガは神獣として、全く異なった信仰が行われるに至ったのだろう。それは西洋世界を中心とする人々と古代インド人との自然に対する考えの違いが原因である。退治されるドラゴンはすなわち、人間が自然をも支配しようとした考えの表われであり、河を象徴するドラゴンは敵対者とみなされた。インドにおいても河の氾濫をひきおこす龍は恐れられてはいたが、その恐怖は畏敬の対象となり神として崇められたのである。古代インド人は、人間をはるかに超越した力を有する自然を征服しようとはせず、自然の法則に従い、自然とともに共存し生を営んできた。 同じ東洋である中国の『老子』においては「自然の存在を総体的にとらえて、いわば自然の意味とか精神と言ってもよいような一種の自然界の理法を尊重している」、「中国では、天は自然であると共に主宰者でもあって、そういうものとしてまた人と密接に関係しているという形で、長い歴史をつらぬいてきた」、このような思想を生み出してきた中国では自然を象徴する龍が敵対者とみなされることはなかったのである。 またドラゴンと龍の捉えられ方が異なるに至った理由には、古代においては生活そのものであった、それぞれの土地で行われてきた農業の状況が大きく関わっている。「東洋の灌漑水に依存する稲作・漁撈地帯では、ドラゴンは神であり、そこでは人々は自然を畏敬し、異なるものと共生融合し、あらゆるものは再生と循環をくりかえすと考えた」が、「これに対し、天水に依存するドラゴンを殺す麦作・牧畜地帯の西洋文明は、自然を支配し分析する近代科学を発展させ、人類に幸せをもたらした」。しかし、人類が発展したことにより地球の自然は壊れ始め、今日では様々な環境問題を抱えている。 このように神話の世界も複雑に絡まり合い、影響を受け合って出来上がったものであるが、現代に伝達するまで様々なメタファーが含まれ、それはその国の思考を如実に表す。
by wato8282
| 2006-04-09 14:03
| パンセ
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