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2005年 11月 18日
http://www.momat.go.jp/Honkan/German_Contemporary_Photography/index.html ドイツ写真の現在 — かわりゆく「現実」と向かいあうために 昨日この展示会を見てきた。 僕はヨーロッパには行った事がないが、ヨーロッパ旅行へ行った人たちのほとんどが「ドイツ人が一番日本人に近い」 という感想を言う。 勤勉で真面目、なのだそうだ。 南欧のラテン系の人たちとはやはり違うのだろう。 そういう事もあり、元々日本人とはどういう人種なのか非常に気になっている僕は、この展示会からそういう近似さを見つけられないものかと楽しみにしていた。 ただ、先に感想を述べると僕にはものたりない展示会だった。 展示会に行く前にタナチューさんにOB訪問していたのだが、その時ドイツの話になった。 ワインをやる人はドイツで転ぶ事が多いのだそうだ。 それはイタリア・フランスワインなどと違い、妙に理論的だからだ、というような事を行っていた。 その際に「縦と横がしっかりしてる」という事を行っていたのだが(批判的な意味で)、なんだか写真を見た時にそういう事が分かってしまった。 単純に構造に頼りすぎているイメージ。 僕はそういうものを好まない。 そして、複雑さというのも好まない(複合的は好きだ。語源は一緒なのになぜこうも違う印象なのだろう)。 ぱっと見た印象がいいのならいいが、それもなく重層的に難解さを表現しているものは心に響かないのだ。 ちなみに、こと「表現に対しては」と付け加えておく。学問になると根本的にまた別の問題だ。 ドイツの写真にはフィルターが多過ぎる。ドイツという国を理解するのには役立ったが、こと「表現作品」としては僕の肌には合わなかった。 結局、元々好きだったティルマンスの写真が一番良かった(それにしても、ものすごい好みというわけではないが)。 現代音楽にのめり込めなかったのと似た感覚(ライヒやテリーライリーは別)。 表現は「学ぶ」ではいけない気がする。 何かを知っていて、さらに何かを追加していくような作品は駄目だ。 まず第一印象から心に響いて欲しい。 メディア論の先生が行っていたが、本当に良い作品とは何枚もの「レイヤー」が存在するのだそうだ。 なんだかその言葉に僕はぐっときた。 つまりは、その表現を見て、何も知らない子供も楽しめて、おじいちゃんやおばぁちゃんも楽しめるし、玄人もうならせる、、そういう作品が本当に良い作品なのだ。 そういう意味では、前に紹介したprince&princesや、高木正勝、藤城清治などは素晴らしい表現者だと思う。 joeさんの言う、誰にでも根本に流れるメロディーというのがあって、そういう誰にでも感動を与えられるメロディーこそが素晴らしい、と言っていたのと似ている。 その時の例えとして、カノンや、mumのGreen Grass Of Tunnelをあげていた。 僕もそういう作品を作っていきたいと思ってて(だから今のままでは駄目だとも思ってるんだけど)、今回の展示はそういう反面教師的な意味で勉強になった。 ただ、まぁ、ドイツに流れる「何か」を知る事が出来たのは良かったかな。 そういう感想はどこ行っても感じる事が出来るんだけど。 前に書いた久保田博二さんの作品なんかは一発でがつんと来たのになぁ。 今後は「重層的」という事に関してもっと自分でも理解して、外へのアンテナとの交流を蜜にして行かなければ、と思った。
by wato8282
| 2005-11-18 22:25
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